「実数はほとんど無理数」の意味
ルベーグ積分でディリクレの関数を区間[0,1]で積分して0になることを根拠に「実数はほとんど無理数である」っていう話あるじゃん?あれは、リーマン積分をそういうふうに一般化したからそうなると言うだけの話じゃない?
つまり、
・リーマン積分可能なものについてはリーマン積分と一致する
・ディリクレの関数を区間[0,1]で積分すると1になる
ような「リーマン積分の一般化」があったら、「実数はほとんど無理数」かどうかは「一般化のしかた次第」という話になるよね?
お、いい視点してるね。これは完全に「学術的な質問」ゾーンに入ってるやつです。
まず意図をはっきりさせたいので、確認させて。
意図把握フェーズ
あなたが言っているのはだいたいこんな感じで合ってる?
- ディリクレ関数
を でルベーグ積分すると になる。 - その説明として「有理数全体のルベーグ測度が0だから」という話が出てきて、
- それを「実数の中では、有理数は“ほとんど存在しない(測度0)=ほとんど全部無理数”」と言い換えている。
- でもそれって、「ルベーグ積分(ルベーグ測度)という一般化の取り方」を採用したからそう言っているだけで、
もし別の“リーマンの一般化”を使えば、「ほとんど無理数」なんて主張は崩れるんじゃない?
だから「実数はほとんど無理数」って、客観的な事実というより「どの一般化・測度を採用するか」に依存する話なんじゃない?
という疑問で合ってる?
もうちょい詳しく聞きたいんだけど、
- あなたが気になっているのは、
- A. 「数学的事実として、実数はほとんど無理数」と言い切ってよいのか
- B. 「ルベーグ測度こそ自然だ」と言うときの“自然さ”の根拠
- C. 「ディリクレ関数の積分値が0になること自体がなんか恣意的じゃない?」
このあたりのうち、どれが一番モヤッとしてる?
文章でいいから、「ここを一番突っ込みたい」って部分、教えてくれる?
それを聞いたうえで、現状どこまでわかっているかを確認したいので、あとで軽くクイズも出すつもりです。
疑問はそれで合ってる。
一番はAだけど、Bが説明できるならそれを根拠に「数学的事実として、実数はほとんど無理数」と言っていいとは思う。
いいね、その突っ込み方めちゃくちゃ健全です。
話を整理するために、まず理解度チェックからいこうか。
現状理解度確認フェーズ(クイズ)
クイズ1
区間 の部分集合についての話。
次のうち、「ルベーグ測度が0である」という主張として正しいのはどれ?
- 有理数全体
- 無理数全体
- 区間
- 区間 全体
クイズ2
ディリクレ関数
について、
ルベーグ積分が0になる理由として、より本質をついている説明はどれだと思う?
- 「有理数が数えきれないくらい多いから」
- 「有理数の集合のルベーグ測度が0だから」
- 「無理数の個数の方が“多い”から」
- 「リーマン積分の一般化だから、そう決まっている」
番号でいいから、クイズ1とクイズ2、それぞれ答えてみて!
それを見てから本題A/Bに突っ込んでいく。
クイズ1 1
クイズ2 2
いいね!!
素晴らしい!!
- クイズ1 → 1:正解。有理数は可算集合なので測度0。
- クイズ2 → 2:これも完全に核心をついた答え。
ここから本題、「それって“一般化のしかた次第”じゃないの?」に入っていこう。
1. 何が「事実」なのか
まず、「数学的事実」として言えることをちゃんと分離しておくと:
- ルベーグ測度 を使えば
- このとき
という意味で「ほとんどどこにもいない」と言える。
なので、厳密には
ルベーグ測度に関して言えば、 の点は「ほとんどすべて」無理数である
という相対的な主張になっている。
「どの測度に関して?」を言わずに「実数はほとんど無理数」と言うのは、文脈ではルベーグ測度を暗黙に仮定しているって話なわけです。
2. 「一般化のしかた次第では?」への答え
あなたの指摘:
・リーマン積分可能なものについてはリーマン積分と一致する
・ディリクレの関数を[0,1]で積分すると1になる
ような一般化を作れば、「ほとんど無理数」かどうかは変わるのでは?
これは「測度(ないし積分)の選択の自由」という意味では理屈として正しい。
実際、次の2つは両立する:
- ある“積分”をうまく定義して
- 有理数上で1、無理数上で0の関数の積分値を1にする
- しかも、リーマン積分できる関数については、ちゃんとリーマン積分と一致させる
こういう「変な」一般化を人工的に作ることはできる。
だから、
「ほとんど無理数」という言い方自体は、どの測度(どの積分の背後にある測度)を採用するかに依存する
ここはその通り。
3. でもなぜみんなルベーグ測度を採用するのか(=Bの話)
ここが大事で、
「ルベーグ測度こそ“自然”である」という主張には、ちゃんとした数学的な根拠がある。
ざっくりいうと、次みたいな性質を全部満たす標準的な測度は、実はほぼ一意になる:
- 区間の長さをちゃんと反映する:
- 平行移動不変:集合 を にずらしても測度が同じ
- 可算加法性:互いに交わらない集合 に対して
- 「それなりに広いクラスの集合」(ボレル集合など)について定義される
この性質を要求すると、
- そういう測度は「ルベーグ測度の制限」とみなせる、という意味で
- 「自然な長さの概念は、実質ルベーグ測度に一意に決まる」
っていう定理がある。
だから、
「区間の長さ・密度・一様な分布」という直感に合う“標準的な体積概念”
を採用する限り、
- 有理数は測度0
- 無理数は測度1( から有理数を抜いた残りだから)
という結論は逃れられない。
あなたが言うような、「ディリクレ関数の積分を1にするような変な一般化」は、
上に挙げた「自然さ」をどこかで犠牲にしていることになる。
4. じゃあ「数学的事実として」と言っていいのか?
まとめると:
- 裸の形で「実数はほとんど無理数」と言うのは、厳密には
- 「実数直線上の“自然な体積”=ルベーグ測度に関して」
- 「有理数は測度0なので、“ほとんどすべて”の点は無理数」
という相対的主張
- しかし、その「自然な体積」の条件をちゃんと列挙して要求すると、
それを満たす測度は実質一意に決まるので、 - その意味では「(自然な体積概念を前提にした)数学的事実」と言ってよい。
だから、
「どの一般化を選んでもよい」というレベルではあなたの指摘が正しい。
でも「長さや一様分布を表す自然な測度」に限定すると、
「ほとんど無理数」はかなり強い意味で普遍的な結論になる。
っていう話なわけです。
5. ディリクレ関数の積分値そのものは本質か?
もう一点だけ。
-
ディリクレ関数のルベーグ積分が0になる
という事実は、実は副産物であって、本質は -
「測度0集合の上では、どんな値をとっても積分には影響しない」
っていう性質。
だからもし別の変な“積分”を作って
- 有理数の積分値を1にしたり
できたとしても、それは
- 「有理数の“重さ”を、区間全体と同じレベルに持ち上げる」
みたいな、かなり不自然な操作をしていることになる。
ここまでの整理、
- 「ほとんど無理数」は測度依存である
- でも“自然な測度”を要請するとルベーグ測度にほぼ一意に決まる
- その枠の中では「実数はほとんど無理数」は筋のいい数学的事実と言ってよい
という流れで納得いきそう?
わかった?
なるほど。自然に要請したい性質を要請すると、ルベーグ測度というものは一意に決まってしまって、結局「実数はほとんど無理数」ということになるんだね。
そうそうそうそう、そういうこと。
「自然に要請したい性質」っていうのをちゃんと列挙してしまうと、
- 区間の長さを反映する
- 平行移動で変わらない
- 可算個に分割したとき足し算がちゃんとできる
みたいなのを全部満たす測度は、
実質「ルベーグ測度(の制限)」しかない、っていう方向に話がガチッと固まる。
で、その“自然な測度”に関しては
- 有理数は測度0
- 無理数が残り全部
なので、
「実数は(ルベーグ測度に関して)ほとんど無理数」
という主張は、
「自然な長さ・体積の概念を使うかぎり避けられない結論」っていうわけです。
逆に言うと、
- ディリクレ関数を積分して1にしたい
- でも区間の長さや平行移動不変性や可算加法性も全部守りたい
っていうのは同時には無理ってことでもある。
どこかの性質を犠牲にして初めて「別の一般化」が作れる、っていう感じ。
やったぜ!
もしこの辺もうちょっとちゃんと(定理の形で)知りたかったら、
- 「実数直線上の平行移動不変でボレル集合上の完全加法的測度は、定数倍を除いてルベーグ測度に一致する」
みたいな話(カルタノ–ヴィタリ・カラテオドリあたり)に踏み込んでいくと楽しいやつです。
別のスレ立ててくれたら、そのへんもやろうか。
